セブ在住のアメリカ人が問いかけた、ある動画
セブに住むアメリカ人ミュージシャン・David DiMuzioが投稿した動画「Why Filipinos Don’t Get Rich(なぜフィリピン人は金持ちになれないのか)」が、Facebookで500万回以上再生されバズりました。
彼の主張はシンプルです。
「稼げる家族が、稼げない家族全員を養い続ける構造が、フィリピン人を貧しくしている」
この動画には当初、フィリピン人から激しい反発が起きました。 「家族を大切にするのがフィリピン文化だ」「外国人に何がわかる」——そんな声が溢れました。
でも同時に、静かに「彼は正しい」と思ったフィリピン人も実はたくさんいるんですよね。

フィリピン人が貧しいままな理由:
1: 将来の計画を立てない。老後、家族、子どもの教育…今この瞬間だけを生きている。
2: 「お金は悪の根源」「金持ちは悪い人間」という思い込みがある。
3: 家族や親戚に「No」と言えない。「マタポブレ(見下している)」と思われたくないから。
4: Utang na Loobの考えで、子どもの頃に与えられたものはすべて、稼げるようになったら返すべきだと思っている。
— 動画へのコメントより(@maiap6484)
外国人に言われたことへの反発ではなく、フィリピン人自身がそう言っている。
その言葉こそが、この記事のテーマです。
家族を支えるのが当たり前の国
フィリピンでは、家族を経済的にも精神的にも支えることが「当然」とされる文化があります。 親の生活費を援助する、兄弟の学費を出す、親戚を助ける——それは特別なことではなく、日常の延長線上にある行為です。
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フィリピンの家族観は、拡大家族と相互扶助を前提とする社会構造の中で育まれてきました。核家族が主流の日本とは、家族の「範囲」や「義務感」がそもそも違うのです。
フィリピンに住んでいると、「家族を支える」という言葉を本当によく耳にします。 けれども時代が変わるにつれて、その”当たり前”がプレッシャーになる人も増えているように感じます。
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「Utang na Loob」と「Pakikisama」──支え合いのルーツ
フィリピンの家族観を語るうえで欠かせないのが、次の2つの価値観です。
- Utang na Loob(ウタン・ナ・ロオブ – 恩義の負債): 親や家族から受けた恩を返すべきという考え。子どもが働けるようになったら親を支えるのは当然、という意識が強いです。
- Pakikisama(パキキサマ – 協調・和を重んじる): 家族や親戚と仲良く、衝突せず、助け合って生きることを良しとする文化。日本語の「お互い様」に近いかもしれません。
この価値観は、単なる文化的な慣習というだけではありません。社会保障制度が十分に整っていない中で、家族が最後のセーフティネットとして機能してきた歴史とも深く結びついています。
これらはとても美しい価値観で、家族同士が助け合う温かさを感じます。 しかし同時に、この「助け合い」が義務やプレッシャーに変わる瞬間もあるのです。
このパキキサマの精神は、時間感覚にも影響しています。「行く」と言ったのに来ない「ゴーストプラン」との関係など、日常生活でのリアルな体験は自分の結婚式に大遅刻した話——Filipino Timeとの戦いにも書いています。
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カトリックが根付かせた”家長”という役割
フィリピンは人口の約80%がカトリック教徒という、アジアでも特異な国です。その信仰の深さは、教会の造りにも表れています。スペイン植民地時代から400年以上にわたってカトリックの教えが社会に浸透し、「家族は神聖なもの」「家族の絆を守ることは信仰の一部」という価値観が文化の根っこに刻まれています。
この文化の中で、父親(Tatay/タタイ)は家族を養う「家長」として位置づけられてきました。稼いで家族を守ることが、父親としての誇りであり、社会的な責任とされているのです。
フィリピンでは家族や友人へのプレゼントに、Class Aの偽ブランド品が選ばれることも珍しくありません。
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また、フィリピンでは離婚が法律で認められていない(イスラム教徒を除く)という事実も、家族観に大きく影響しています。一度築いた家族関係は、良くも悪くも「一生続くもの」。この意識が、仕送りや扶養義務を“切れない絆”として強化している面もあります。
父親が家族を養えない状況になっても、今度は子どもがその役割を引き継ぐ——そのバトンリレーのような構造が、フィリピンの仕送り文化の本質なのかもしれません。
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フィリピンの文化は、家族観や宗教だけでなく、食べ物にもさまざまな歴史的背景が残っています。たとえば、フィリピンを代表するデザートのハロハロにも、日本のかき氷文化との意外なつながりがあります。
→ ハロハロのルーツを掘ってみた|日本のかき氷が祖先って本当?
ある日のできごと──「私、あなたを訴えられるのよ」と笑う義母
2020年のある日。 ライアンのお母さんが私のところに来て、こう言いました。
「フィリピンではね、子どもたちは親の面倒を見ないと訴えられるのよ。 私、あなた方を訴えたりしてねー…。うふふふ。」
でもその笑顔、目はぜんぜん笑っていませんでした。 驚いた私は、法律に詳しいライアンのお父さん(パラリーガル)に尋ねてみました。 すると彼は笑いながらこう言いました。
「一応、子どもも親も双方に扶養義務はあるけどな。 実際そんなことありゃしないよ。ははは、は…」
フィリピンでは、親子間の「扶養義務」が家族法で定められているのは事実。 ただ、実際に親が子を訴えるなんて、まず聞いたことがないというのが現実です。 その時は私も、「嫌な冗談を言うなぁ」と思っただけでした。
「Parents Welfare Act」という新しい波
ところが2025年。 本当に”親の扶養義務”を強化しようという法案が持ち上がったのです。 その名も 「Parents Welfare Act」。
この法案では、年老いた親や身体的に支援を要する親に対し、子どもに金銭的・生活的な支援を義務づけ、怠れば訴えられる可能性もあるという内容。 ただし、これはまだ提案中の法案であり、現時点では成立していません。
それでも、このニュースはフィリピン社会にかなりの衝撃を与えました。 なぜなら、すでに多くの家庭で、親・兄弟・従兄弟まで金銭的なサポートを求め合う構造があるからです。
SNSではこんな反応が見られました。
「これで親たちが安心できるなら素晴らしい!」 「いや、これ以上負担が増えたらどうすればいい? 親から訴えられるなんて…」
「法律ができるなら助かる」と喜ぶ声と、「もう限界だ」という悲痛な声。 どちらの気持ちも、現実の生活から生まれた切実なものです。
家族を支えるという誇りと現実
フィリピンでは、「家族のために働く」ことを誇りに思う人が本当に多い。 そのメンタルの強さについてはこちらの記事でも触れています。でも、その誇りの裏側には、切ない現実もあります。
このプライドの高さは、食文化にも深く根づいています。
フィリピンのローカルパンへの批判が「言えない」理由について書いた記事はこちら。
🧳 友人Aのケース
私の友人Aのお母さんは、70歳を過ぎてもアメリカでメイドとして働いています。 彼女は長年の仕送りでフィリピンに立派な家を建てました。 家族も「ママはすごい」と誇りに思っています。 けれど、実際にお母さんがその家で過ごす時間は、年に1回あるかどうか。 祖国に帰るたびに、「ここで暮らす日を楽しみにしているの」と微笑むけれど、 その夢はまだ遠いままです。
フィリピンでの実際の生活費感覚を知っていると、この仕送りの重さがより伝わるかもしれません。
💸 友人Bのケース
別の友人Bは、日本人とフィリピン人の国際カップル。 夫(フィリピン人)は毎月の収入の半分以上を母親に仕送りしています。 ある日、妻(日本人)が「少し減らせないの?」と尋ねたところ、 「これがフィリピンのファミリーの形だから」と一蹴されました。
それでも勇気を出して仕送りを少し減らしたところ、すぐに母親から電話が。
「なんで今月こんなに少ないの? いくら稼いでるのか明細見せなさい! 減額した理由を正当化なんてさせないわよ!」
日本人の妻は驚いたと言います。 けれど、その話を聞いていた他のフィリピン人たちは口を揃えてこう言いました。
「まあ、普通のことだよ。フィリピンでは親を助けるのが当然だから。」
仕送りを「減らす」「やめる」という選択肢は、 フィリピン人にとっては”家族の裏切り”に近い感覚なのかもしれません。
この「断れない空気」は、クリスマスや正月のお年玉文化「ナマスコポ」にも通じるものがあります。見知らぬ人にまで施しを求められる体験は、移住したての頃は特に戸惑います。→ ナマスコポとは?金額・渡し方・実体験まで
🏡 私たちの場合:線を引くという選択
そして、私たちの場合。 ライアンの家族は、少し事情が違います。
——そもそもライアンとどう出会ったの?という方はこちら——
ライアンの家族は、少し事情が違います。 というのも、お父さんが想像を超える浪費家だからです。
持ち家が2件、駐車場が1件、自家用車もあり、仕事も「やろうと思えばできる」状態。なのに気が向いた時にしか働かない。それなのに、無駄遣いをし続けている。
家族の中でも「彼を全面的にサポートする」という考えはありません。
私たちは、できる範囲でバランスをとる方法を選びました。たとえば:
- たまにご馳走をする
- 予算に余裕があるときはプレゼントを渡す
- 彼の不動産や法律の知識が必要なときは、きちんとプロフェッショナルフィー(報酬)を払う
こうして、”情”と”けじめ”の間で関係を保っています。 ただし、線引きは必須。 お金の話にルーズなところがあるので、一度「助ける」と、次から次へと要求が増えてしまうこともあります。
私にとっても、フィリピンの家族は大切です。 けれど、一番大切なのは「自分でつくった家族」—— ライアンと、私と、そして犬たちと猫たち。 この小さな家族を守ることが、今の私たちの最優先です。
家族は、私たちが形成する一番小さなコミュニティの一つ。
そこからご近所付き合いがあり、会社での付き合いがあり、それぞれコミュニティもひろがっていきます。
コミュニティのなかでうまくやっていく重要性も確かにあります。しかし何事にもマナーや思いやりがあってこそなんですよね。
SNSで広がる声:子どもをブレッドウィナーにしてはいけない
近年、X(旧Twitter)やreddit、TikTokなどで、こんな声をよく見かけます。
子どもをブレッドウィナーにしてはいけない
フィリピンでよく見られる問題のひとつが、「今は産む、あとは何とかなる」という親の無計画さです。
テレノベラ(フィリピンのテレビドラマ)の影響もあるのか、「感情に従って生きる」「愛があれば大丈夫」という価値観が根強い。でも現実はそんなに甘くない。
無責任な相手を選び、深く考えずに子どもを作る。その結果、一番割を食うのは子どもたちです。
生まれた子どもが弟妹の面倒を見て、家族の生活費を稼ぎ、自分の人生を後回しにする——Utang na Loob(恩義の負債)の文化が、それを「当然のこと」として正当化してしまう。
これは貧困の連鎖そのものです。子どもが自分の人生を築けないまま、次の世代もまた同じ構造に縛られていく。
さらに皮肉なのは、そんな状況を「子どもがいるから自分たちは苦労した」と、子どものせいにする親すら存在すること。自分の選択を省みることなく、責任を子に押しつける。
「子どもが多いほど祝福される」というカトリック的な価値観も、この問題に拍車をかけています。祝福を受けるのは親かもしれないけれど、その重さを背負うのは子どもたちです。
子どもは、親の老後のための保険でも、家族を養うための労働力でもありません。 子どもにはただ、自分の人生を生きる権利がある。
Breadwinner(ブレッドウィナー) とは、家族の中で主に生計を支える人のことです。
日本語だと「大黒柱」がそれに該当するのかな?
ここでは「子どもが家族全員を養う稼ぎ手になってしまっている」という意味で使われています。
本来は親がその役割を担うべきなのに、という批判です。
「Utang na Loob」はフィリピン文化において、非常に危険な概念だ。
誰かを助けたからといって、それを相手への「leverage(交渉カード)」として使う権利はありません。
感謝は、必ずしも見返りを義務づけるものではない。
若い世代のフィリピン人たちは、「家族を助ける=自己犠牲」という構図に疑問を感じ始めています。 彼らは「サポートは愛の表現だけど、限度が必要」と声を上げています。
“You owe us because we raised you.” No, you fucking don’t. They chose to bring you into this world — it wasn’t a contract.
「育ててやったんだから恩返しして当然」——いや、違う。あなたたちが自分で選んで産んだんでしょ。それは契約じゃない。
出典:The Toxic Concept of Utang na Loob — Medium (@brylleramos13)
“Saying no or setting boundaries means you are a disappointment, a defiant, a failure, or a shame.”
断ること、境界線を引くこと——それだけで「親不孝」「裏切り者」「恥さらし」のレッテルを貼られる。
出典:Utang na loob, Stop Breadwinning Children — Medium (@Kennnotbenamed)
言葉は強いけれど、これが多くのフィリピン人の言えない本音なのかもしれません。
若い世代は「サポートは愛の表現だけど、限度が必要」と、少しずつ声を上げ始めています。
「ブレッドウィナー」は子どもだけじゃない
ここまで子どもへの影響を中心に書いてきましたが、実はこの構造、お金を持っている人・稼げる人なら誰でもターゲットになり得ます。
外国人配偶者もそのひとりです。外国人というだけで「お金がある」と判断されてしまう。
私自身もフィリピン人と結婚した外国人として、この空気をひしひしと感じることがあります。一族全体が「稼げる人」のまわりに集まってくる——それが、時として怖いほどのプレッシャーになる。
知り合いの日本人男性×フィリピン人女性のカップルの話
- 嫁の妹の彼氏まで家に住み着いているケース
- 交際前からすでにいた、パートナーと別の男性との間の子どもの養育費まで負担しているケース
こう書くと「それはおかしい」と思う人も多いでしょう。
でも一概に悪いとは言い切れないのが、フィリピンという国の複雑さです。日本人以上に面倒見がよく、愛情表現が豊かなフィリピン人と暮らしていると、「家族としての繋がり」を本当に感じる瞬間があるのも事実。だからこそ、断れない。
フィリピン人同士のカップルならなおさらです。 パートナー自身の家族と、自分の家族——その両方がのしかかってくる。想像するだけで胸が苦しくなります。
知り合いの日本人女性×フィリピン人男性カップルは、「家族へのサポートはフィリピン人の給与の範囲内から出す」という取り決めをしているそうです。それはひとつの現実的な知恵かもしれません。
給与の大半を家族サポートに回してしまう人も少なくない。そしてその人自身は、老後の蓄えも、自分の夢も、後回しにし続ける。
しかし「そうだ、子どもをつくろう!」と考える人もたくさんいることも現実なんですよね。
貧困は、こういう構造の中からも抜け出せなくなっていく。 個人の問題ではなく、文化と経済が絡み合った、根の深い問題なのだと思います。
新しい価値観:「サポートは愛。でも境界線も愛」
最近のフィリピン社会では、「家族を助けること」と「自分を守ること」の両立を目指す動きが広がっています。
“Support with boundaries.”(境界線をもって支援する)
“You can love your family without losing yourself.”(自分を失わずに家族を愛せる)
家族への思いやりは大切。 でも、支える側が壊れてしまっては本末転倒です。 サポートには、限度と対話が必要なのかもしれません。
おわりに:助けることの「形」を見直す時代へ
フィリピンの家族文化は、助け合いと温かさに満ちています。 けれども今、多くの人が気づき始めています。 「助ける」と「依存させる」は違うということに。
経済的なサポートだけでなく、「一緒に考える」「自立を促す」「時間を共有する」——そんな形の”サポート”もまた、愛の一つのかたちなのだと思います。
まとめ:どんなカルチャーや習慣も、線引きは必要だ。
私もフィリピンに住んでいて、「家族を助ける」という文化の深さを日々感じます。 ライアンの家族もとても温かいですが、時には線引きが必要なこともあります。
助け合うって難しいけれど、 “自分も家族も大事にできるバランス”*を探していくことが、 この国で生きていく鍵なのかもしれません。
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英語記事はこちら👉Why Filipinos Can’t Get Rich — And Why the Answer Is More Complicated Than You Think

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