結婚式当日、私はドレスを持っていませんでした。
いや、正確に言うと——ドレスはちゃんと存在していたんです。義母が何週間もかけて手縫いしてくれた、世界にひとつだけの花嫁衣装。ただ問題は、そのドレスが義母の手の中にあって、その義母がまだ来ていないということでした。
車を運転する義父、そして当時彼ら両親と一緒に住んでいた末っ子も来ていません。
メイクアップアーティストである義妹は肩をすくめて「仕方ないね、うちらのパパとママだから」。
招待客はもう会場で全員揃っているのに、主役の花嫁である私、新郎、メイク担当の義妹とその彼氏が、自宅で途方に暮れていました。
やっと彼らとドレスが私たちの家に到着したのは、式開始から40分。
義父の頭を蹴っ飛ばしてやりたかったです。本気で。
これが私の結婚式の始まり。そして「フィリピンタイム」というものを、骨の髄まで理解した瞬間でもありました。
(私とライアンの出会いや結婚の経緯については、フィリピン人夫との出会い——国際結婚と海外移住の話にも書いています。)
そもそも「フィリピンタイム」って何?——その深い背景
そもそも「Filipino Time」って何?と思った方のために、少し説明しますね。
フィリピンでは、約束の時間より30分〜1時間遅れるのが、わりと「普通」だったりします。
沖縄の「ウチナータイム」と似ていますね。
南国ならではの、ユルいかんじなのかな?っておもうでしょう。
でもこれ、単なるだらしなさとは少し違うんです。「なんとかなるさ」という意味の「bahala na(バハラナ)」という考え方や、集団の和を大切にする文化、そして目上の人を敬う意識——そういったものが複雑に絡み合った結果だったりします。
あと大事なのは、フィリピン人が全員そうかというと、全然そんなことはないです。
都市部と地方でも違うし、職場と家族の集まりでも全然違う。
私の友人たちはかなり時間通りに来る人ばかりです。
植民地時代の「遅刻」が文化になった
フィリピンは約300年、スペインに植民地支配されていました。その時代、スペインの高位官僚たちの間では「遅れて登場する」ことが一種のステータスシンボルだったそうです。後から来るほど、自分の格が上だということを示せる——。サント・トーマス大学歴史学部のアウグスト・デ・ヴィアナ教授はこの「ファッショナブルな遅刻」がじわじわとフィリピン文化に根付いていったと指摘しています。
実はフィリピンの国民的英雄ホセ・リサールも、小説『ノリ・メ・タンヘレ』の中でその様子を描写しています。
「リナレスはまだ到着していなかった——なぜなら彼は重要な人物であり、他の誰よりも遅く来なければならないから」
英語訳の出典(Derbyshire訳、1912年)
遅刻が、文学作品に登場するほど当たり前の文化だったわけです。
さらに「なんとかなるさ、神様に任せよう」という意味の「bahala na(バハラナ)」という考え方も関係しています。400年近い植民地支配の中で、自分たちの力でどうにもならないことが続いた結果、「先のことを細かく計画しても仕方ない」という感覚が文化として定着していったと言われています。
スペイン統治の影響はフィリピン時間だけでなく、地名にも残っています。→ネグロス島の名前の由来
「ゴーストプラン」という現象
フィリピンタイムと切っても切れない習慣があります。「ゴーストプラン」です。
「来週集まろう!」「いいね、行く行く!」——でも当日になって、その人は来ない。連絡もない。
悪意があるわけではないんです。フィリピンには「パキキサマ(pakikisama)」という、グループの和を保ち、対立を避けるための文化的価値観があります。その場で「行けない」「気が乗らない」と言うと、相手を傷つけてしまうかもしれない。だから「行く」と言う。でも実際には行かない——これが「ゴーストプラン」です。ちなみにこのパキキサマ、宗教の場面でも強烈に機能します。カトリックかプロテスタントか、という話になったとき、私たちの家族はこうなりました。
パキキサマの文化では、「yes」は必ずしも「行きます」という約束ではなく、「あなたの言葉を受け取りました」という意味合いで使われることがあります。断ることは対立であり、関係を壊すことだと感じられるため、曖昧な「yes」が選ばれやすいのです。
約束の前日、または約束の当日に一言、「Tuloy?」(トゥロイ)とメッセージを送信します。
タガログ語で「続ける」「進む」「どうぞ入って」という意味の言葉なんですが、このばあいは「まだやる?」って言う確認になるんですよね。
返事が来ない、あるいは「実は…」と言う今日は行かないという理由が伝えられる。
その場合は、そっと計画が消えたサインだったりします。
普通に英語で「See you tomorrow」などを送るでもOKです。
慣れるまでは本当に振り回されます。
シニョリティシステム——目上の人には逆らえない
フィリピンタイムをより複雑にしているのが、フィリピンの「シニョリティシステム」——年功序列と目上への絶対的な敬意の文化です。
家族の中では、年長者の意見が最優先。おじいちゃんおばあちゃん、親、目上の兄姉——彼らが「動く」まで、下の世代は待つのが普通です。仕事の場でも同じで、上司や先輩に対して「ノー」と言ったり、意見を述べたりすることはかなり難しい。(フィリピンの家族観や父親の役割については、フィリピンの家族観と仕送り文化でも詳しく書いています。)
これがフィリピン人の遅刻問題と組み合わさると、家長が遅れれば一族全員が遅れる、という現象が生まれます。誰も「早くしてください」とは言えない。言えば、目上への無礼になってしまうから。
ちなみに、日本にも似た文化があるのをご存知ですか? 沖縄の「ウチナータイム」です。
飲み会や私的な集まりでは30分〜1時間遅れるのが当たり前、待つ側も待たせる側も罪悪感がない——まさにFilipinoTimeと瓜二つ。
根底にある「なんくるないさー(なんとかなるさ)」という精神も、フィリピンの「bahala na」とほぼ同じです。
ただ、ウチナータイムが鉄道のない車社会という地理的な背景から生まれたのに対し、Filipino Timeは植民地時代の権力構造が今も影を落としている——という点が大きな違いです。時間感覚って、その土地の歴史が丸ごと出るんですよね。
フィリピン人が全員そうかというと、全然そんなことはないです。都市部と地方でも違うし、職場と家族の集まりでも全然違う。フィリピンタイムは「文化の一面」であって、「フィリピン人の全て」ではありません。
ただ、私の義父はちょっとレベルが違いました。
義父・ジョセフという伝説 – 6時間遅れた男
しかも笑えるのが、そのとき義母も義父を待っていたんです。お互いがお互いを知らないまま、ずっと待ち続けていたという……。もはやコントです。
私の義父・ジョセフは、最長で6時間遅れました。
(私が知る限りですが)
マニラから車で3時間ほどの場所にあるバタンガスに行く予定をしていて、当時マカティに住んでいた私たちをピックアップしてから目的地に向かうのでしたが…こない。朝9時にマカティ到着のはずが、3時になってもこない!!
貴重な私の週末をどうしてくれる!!!
それを黙ってまっているライアンにも私は怒り心頭でした。
ファミリーギャザリングでも、義父の家族だけいつも3〜4時間遅れで登場していたそうで。フィリピンでは家長に全員が合わせるという文化があるので、義父が動かない限り、家族全員が動けない。そういう仕組みになっていたんですね。
これ、さすがにフィリピン人の親戚たちの間でも「やりすぎ」と思われていたらしく、こっそり笑われていたそうです。フィリピンタイムにも、限度というものはあるらしい。
そんな家庭で育った旦那のライアン、結婚後に初めて迎えたファミリーギャザリングで何をしたかというと
——2時間前に到着しました。
トラウマの反動って、こういう形で出るんですね。
そんな義父が、私たちの結婚式にも盛大にやってくれたんです。
「外人カード」でシニアをむりやり制御
結婚式の件は、今でもたまに義父母に「あのときは本当に……」と言うんですが、二人とも笑いながら「昔のことは忘れなさい」って。
忘れられるか!とは思いつつ、まあ今は笑い話になっています。
でも笑い話で終わらせなかったのには、理由があります。
私、ある時期からきっぱり決めたんです。10分でも遅れたら、置いていく、と。
車を持つようになって、移動の主導権が私たちの側に来たのも大きかったです。「待つ側」から「動く側」になったことで、ようやく対等に話ができるようになりました。
フィリピンでは、目上の人、特にシニアに対して強くものを言うのは、かなり難しいことです。普通のフィリピン人の嫁だったら、まずできない。でも私は外から来た外国人。その立場が、逆に動きやすくさせてくれました。
最初はかなり嫌われたし、ライアンも父母のやり方にNOというのは最初かなり抵抗があったみたい。
上記に書いた6時間遅れた時も、私が「もうバタンガスには行かない!」って決めて、それを義父に伝えるとき、かなり勇気が入ったみたいですし。
ライアンが一緒に「くみちゃんのやり方でいこう」と言ってくれたのが、何より大きかったです。二人で同じ方向を向いていたから、続けられた。
結果、今では義父母は時間厳守で動いてくれるようになりました。
……ただし、他の兄妹たちには相変わらずやりたい放題しているみたいですけどね。
ちなみに、義父義母とはとてもなかよくしています。
フィリピンタイム&シニア優先社会も「線引きが必要」だと思う
義父母とは今、とてもいい関係です。あの結婚式の大混乱も、6時間待ちの伝説も、全部ひっくるめて、今となっては大切な家族の思い出になっています。フィリピン人のこういう「笑って水に流せる」強さは、一緒に暮らしてみて本当に学ぶことが多いです。(そのあたりの話はフィリピン人の強さ——逆境を笑顔で乗り切るメンタルにも書いています。)
文化が違うと、ぶつかることは必ずあります。「なんでこうなの?」って、何度思ったかわかりません。でも私が学んだのは、文化を変えようとするのではなく、自分たちのルールを作るということでした。
批判でも否定でもなく、「うちはこうします」と静かに決める。それだけでよかったんです。
フィリピン人のパートナーや家族と暮らしている方、これから暮らそうとしている方——フィリピンタイムに振り回されて消耗しているなら、一度だけ試してみてください。
置いていく、です。
愛を持って、でも容赦なく。
この記事の文化的背景に関する情報は、以下の資料を参考にしています。
- FilipiKnow — “The Intriguing History of Filipino Time”
UST歴史学部 Prof. Augusto De Viana の研究を紹介 - JoySauce.com — “What can we learn from Filipino time?”
植民地時代の時間観とその文化的意味を考察 - Pinoy Therapy — “Pakikisama vs. People-Pleasing”
パキキサマ(pakikisama)の文化的背景について - Konnect.ph — “Managing Across Cultures”
フィリピン文化における「yes」の意味とコミュニケーション

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