メトロマニラに住んでいた時。ちょうどコロナ禍の真っ最中に、48時間の断水がありますとアナウンスされたことがありました。しかも大規模停電も終了時期が未定で予定されているというではありませんか。
我が家の水は電気で汲み上げているので、停電=断水のダブルパンチ。半年以上、断水は日常的に繰り返されていたのですが、やはりこんな状態に慣れるわけもなく、心は沈んでいくばかり。
思わず「もうやだ、毎日断水、断水、断水…」とこぼしたとき、夫のライアンが笑顔で言いました。
90年代はもっと酷かったよ。それから比べたら全然マシ。
それに僕たち、本当に幸せだね!一緒に暮らせて本当毎日嬉しいよ。
断水中の家で、なぜそんなに嬉しそうに言えるのでしょうか。
一方、義父は「2日と言っていたけど、実際は1日で済むらしい」と朗報を伝え、誰よりも早く情報を得たことに目を輝かせていました。
日本人として10年以上フィリピンに住んでいても、この「状況をポジティブに変える力」にはなかなか近づけません。
確かに、彼らは笑っているのです。まあ仕方がない、といいながら平気で耐えている。
なぜフィリピン人のメンタルは強いのか
例えば毎年繰り返される深刻な浸水で、家財道具が全て台無しになったとき。
例えば、自分はどこからか貰われてきた子どもだと知ったとき。
例えば、突然仕事をクビになったとき。
あなたなら笑っていられるでしょうか?
フィリピン人の多くは「YES」と答えなかったとしても…
浸水すればビール片手に泳ぎ出し、
親子関係の秘密も「推理ゲーム」のネタにし、
クビを言い渡されたら会社の前で踊ってTiktokにアップロードしてしまう。
私たち夫婦の友人たちの実話です。
もちろん傷ついていないわけじゃない。
では、なぜ彼らはこんなにも前向きでいられるのでしょうか。
👉 あわせて読みたい:フィリピン人男性の特徴・あるある|現地妻の視点で解説
フィリピン人の「最強メンタル」を支えるもの
1. 共同体・家族のつながり(Kapwa, Bayanihan)
「Kapwa(カプワ)」は他者と自分を一体と感じる意識。
「Bayanihan(バヤニハン)」はコミュニティ全体で助け合う精神の意味です。
フィリピンでは「自分は家族や仲間とつながった存在」という意識が強いです。
洪水が起きれば近所総出で家財を持ち上げ、停電になればろうそくを囲んで笑い合う。
孤立せず「一緒に困難を乗り越える」ことが、心の支えになっています。
その強さの裏側にある、家族を支えることのプレッシャーについてはこちらもあわせて読んでみてください。
2. 信仰と「Bahala Na」の精神
「Bahala Na(バハラ・ナ)」とは「神に任せる」、つまり「なるようになる」という考え方です。
一見すると諦めに見えますが、実際は「できることをやったら、あとは委ねて進む」という勇気ある姿勢でもあります。これは、フィリピン、タガログ語の「生きがい」、マギンハワ、にも通じる考え方でもありますね。

夫の「僕たち幸せだね」という言葉は、まさにこの精神を体現しています。
この「bahala na」の精神は、フィリピン独特の時間感覚とも深く関わっています。→ Filipino Timeとは?義父と私の戦いの記録
3. ユーモアと遊び心
フィリピン人は困難を笑い飛ばす力に長けています。
水害の中で泳ぎ出したり、職を失っても踊って動画にしたり──「どうせ辛いなら笑いに変える」ことが、ストレスを和らげる社会的潤滑油になっているのです。
そのユーモアと感性を爆発させるプラットフォームがソーシャルメディア。
| 指標 | 数値 & 内容 |
|---|---|
| 人口に対するインターネット利用率 | 約 83.8% |
| ソーシャルメディア利用者数 | 約 9,080万人(国民の約78%) |
| インターネット利用者のうちソーシャルメディア利用者の割合 | 約 93.1% |
| 性別比率(ソーシャルメディア利用者) | 女性:約52%、男性:約48% |
引用:DataReportal – Global Digital Insights
ここでフィリピン人たちはミームを量産させては日々拡散させています。そのクリエイティブな内容は圧巻!
4. 希望と楽観性
「今は大変でも、きっと良くなる」という未来志向も強みです。
海外出稼ぎなど、チャンスを探しに国境を越えていく姿勢は、この楽観性の表れ。楽観的であることは、生き抜くための実用的な戦略でもあります。
5. 「怒ったら負け」という価値観(Pikon Ay Talo)

Pikon Ay Talo「感情を爆発させた方が負け」という考え方もあります。
怒りをあらわにしても解決はせず、むしろ笑いのタネにされてしまう。だからこそこちらから「笑い飛ばす」方が得策だという価値観です。
夫はこれを「冷静に策略を練って、自分の望むものを勝ち取れ」という意味だと解釈していて、よく私に言い聞かせています。そのライアンが宗教という戦場でどう動いたか——仏教徒発言事件はこちら。
こちらも読みたい👉 感情を爆発させて暴力沙汰になった友人の話
6. 制度的・社会的な支え
災害の多い国だからこそ、地域社会の助け合いやNGOの活動が根強いのも事実です。
一方で、システムの不備や政治の腐敗をSNSで笑いに変えながら、決して忘れない。その「したたかさ」もメンタルの強さにつながっています。
強かさと言えばこの文化をわすれてはいけません。
この義理人情の厚さが年末のナマスコポ文化にも関わってきます。夫であるフィリピン人男性がどう対応するかは、家庭によってかなり違います。→ フィリピンのお年玉・ナマスコポ、夫婦でどう乗り越える?
古代のフィリピン人も笑顔にこだわった?
フィリピン人の「笑顔へのこだわり」は現代だけの話ではありません。
14〜15世紀のパンガシナン州ボリナオ遺跡から発掘された頭蓋骨には、精巧な金の歯飾りが施されていました。魚の鱗のような模様の金の斑点や、金のインレー、キャップ──それは古代の職人「マナヌサド」によるものです。
1617年にはスペイン人宣教師マテオ・サンチェスが「マナヌサド」について記録を残しており、笑顔は太陽の光を反射して英雄のように輝いたと記しています。
つまり、古代の笑顔は“美と力の象徴”だったのです。
参考文献:https://vogue.ph/beauty/wellness/behind-our-smile/
…それって、現代のフィリピン人における「歯科矯正器具」が相当するのかも!?
なんでみんなあの銀色の矯正器具をおしゃれの意味でもつけてる人が多いのか、ずっと疑問だったんです!次回その話を書きたいと思います。
でもやっぱりフィリピン人だって辛い
もちろん、何でも笑って済ませられるわけではありません。
たとえば浸水対策事業が「ゴーストプロジェクト」となり、政治家や業者の懐に消えたスキャンダル。
人々は怒りをSNSでジョークに変えましたが、それは許したわけではありません。
「怒ったら負け」としながらも、心の底では「これで済むはずがない」と強く思っているのです。
フィリピンの大掛かりな洪水対策事業で、実際に工事が行われない「ゴーストプロジェクト」や政治家・業者へのキックバック疑惑が多数発覚しました。過去数年で洪水対策事業に費やされた金額が 5,000億ペソ前後(ある報道では ₱545 billion)にも達し、その中に多数の巨額の予算が不正に流用されたとされ、政府は独立調査委員会を設置して捜査を進めています。
実際のフィリピン人たちの心の叫びは?
Ninong Ry(ニノン・ライ)さんは、フィリピンの人気ユーチューバー/シェフ/コンテンツクリエイターです。
今回の浸水工事汚染事件で、フィリピン人としての痛み、心情を投稿していますが、この私記に現代のフィリピンの全てが詰まっているように思います。
SNSに投稿する私たちの様子は、まるでジョークばかりで笑い飛ばしているように見えるかもしれない。慣れていて平気そうに見えるかもしれない。けれど本当は違う。何度も泣いてきた。生活をやり直すたびに、新しい物を買い直し、バイクを修理し、家族のアルバムが流され…。お金だってたくさん失う。でもその度に、お金で買えないものだって流されていくんだよ。(中略)
僕は昔から洪水問題について言及してきた。なぜならあんまりにもダメージが大きいから。面白おかしくユーモアを交えて伝えてきたのは、少しでも多くの人の目に留まるように、拡散されるように、そして権力のある誰かが「よし、改善しよう」と思ってくれることを願ってのことだ。でも、現実は何も変わらない。
(中略)
僕たちは、こんな仕打ちを受けるために生きているんじゃない。
全文の日本語訳はこちら
僕の人生はずっと水害にさらされてきた。大変だけれど、それが生活の一部になってしまったんだ。ただ、最初は「これが人生なんだ」と思い込んでいただけ。受け入れることを学び、適応することを学び、どうしようもない苛立ちも飲み込むことを学んだ。そうするしか方法がなかったからだ。
でも、本当にそれでいいのか?なんでこんなに辛い目に遭い続ける必要がある?なんで解決がこんなに大変なんだ?そんな環境の中で強くなって大人になった。僕だけじゃないはずだ。実際、何百万ものフィリピン人がそうやって暮らしてる。
けれど、耐えることはできても、本当にそれを「受けるに値する」んだろうか?
SNSに投稿する僕らの様子は、まるでジョークばかりで笑い飛ばしているように見えるかもしれない。慣れていて平気そうに見えるかもしれない。けれど本当は違う。何度も泣いた。生活をやり直すたびに、新しい物を買い直し、バイクを修理し、家族のアルバムが流され…。お金だってたくさん失う。でもその度に、お金で買えないものだって流されていく。
妻が出産したばかりの頃、ひどい洪水に見舞われたっけ。慣れているふりをして彼女を落ち着かせようとしていたけど、正直、自分も限界で。「帝王切開の傷がまだ痛むから、水に入れない」と言う彼女に対して、冗談めかして「じゃあ、抱っこしてあげる。子どもたちはタライに乗せればいいじゃないか」、なんて答えたんだけど、でも実際は、ただ水位を見張るだけでどうすることもできなかった。自分が少しずつ築いたもの、写真や賞状など二度と戻らないものが流されていくのを、ただ見ているしかなかったんだ。
1回や2回なら「仕方ない」で済むかもしれない。でも何度も繰り返されるのは、間違ってる。こんな仕打ち、誰が受けるべきだっていうんだ。
そして気づけば、洪水対策の予算が汚職で奪われていたなんて話が出てくるじゃないか。もう胸が張り裂けそうだよ。納税者である僕たちは、まるで頭から馬鹿にされるようなものだからな。
繰り返すけど、こんなの僕らにふさわしくない。こんなことがあっちゃいけない。
国会の公聴会を見ては、必死に状況を追いかける。でもなんでなんだ?せめて怒りの行き場を探しているのかもしれない。なのに湧き上がるのは疑問ばかり。なぜこんなに複雑なのか。なぜこんなに混乱しているのか。まるで「ゲーム・オブ・スローンズ」みたいに権力争いばかりだ。一体真実はどこにあるっていうんだろう?
僕は昔から洪水問題について言及してきた。被害があんまりにも大きな痛みになっているからだよ。面白おかしくユーモアを交えて伝えてきたのは、少しでも多くの人の目に留まるように、拡散されるように、そして権力のある誰かが「よし、改善しよう」と思ってくれることを願ってのことだった。でも、現実は何も変わらない。
昔は涼しい風が吹けば心地よかった。けれど今は、不安がつきまとう。「また財産を失うのか?」「荷物は全部高い所に上げただろうか?」「冷蔵庫は?また買わなきゃ」「アルバムは?ああ、もう前回の洪水で流されたんだっけ…」。
フィリピン人はこんな仕打ちを受けるべきじゃない。僕らは繰り返し流されるために生きているわけじゃない。こんなの間違ってる。関係者たちが報いを受けることを祈るばかりだよ。けれど皮肉にも、もう「完了した」とされたゴーストプロジェクトをやり直すには、また新たな予算が必要になる。それにはまた、僕らの税金が使われるわけだろ?
怒りと悲しみがないまぜになって、胸に収まりきらない。眠れない夜を過ごしてる。関係者たちは、どうなんだろうな?スヤスヤと眠れているんだろうか?
もう十分だ。こんなことがあってはいけない。いい加減、解決してほしい。
僕たちは、こんな仕打ちを受けるために生きているんじゃない。
結び
黄金の歯が輝いた古代から、浸水や停電、断水を笑い飛ばす現代まで。
フィリピン人の笑顔は、時代を超えて「強さの証」であり続けています。
私自身にはまだその強さはありません。
けれど犬たちと過ごす暗い夜の中で、彼らの笑顔に少しでも近づきたい──そう思わずにはいられませんでした。
英語版はこちら👉:https://pinashaponlife.com/en/why-filipinos-smile/
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