国旗に気持ちを乗せるということ。日本とフィリピン、国旗をめぐる法律と想いの話

国旗に気持ちを乗せるということ。日本とフィリピン、国旗をめぐる法律と想いの話

国旗を傷つけたり燃やしたりする行為を罰する「国旗損壊罪」の法案が、国会で審議されている日本。2026年6月、自民党・日本維新の会・国民民主党・参政党の4党が共同で法案を提出しました。内容は、公然と国旗を損壊・除去・汚損した場合、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金。自分が所有している国旗であっても対象になるというから、けっこう本気度が高い法案です。

SNSでも「表現の自由はどうなる」「そもそも必要なのか」と賛否が分かれています。法案は6月26日に衆院内閣委員会、6月30日には衆院本会議でも可決され、7月7日から参院内閣委員会で審議入りしました。成立するかどうかは、これからの参院の審議次第です。

でもこの話、フィリピンに住んでいる身からすると「あれ、それってここの国にはもうあるやつだ」と思ったんですよね。しかもただ法律があるだけじゃなくて、フィリピンの国旗、掘れば掘るほど面白いエピソードが出てくる。最後には、うちのアスピン(現地犬)にまつわる話にもたどり着くので、少しお付き合いください。

目次

戦争になると、国旗が逆さまになる国

まず知ってほしいのが、フィリピンの国旗には他の国にはない、ちょっと変わった仕組みがあることです。

普段、フィリピンの国旗は青い帯が上、赤い帯が下です。でも「国が戦争状態にある」ときは、この国旗を上下逆さまに掲げて、赤を上にするんです。これ、フィリピンの法律にちゃんと明記されている、正式なルールです。

起源は1899年の米比戦争。当時の初代大統領アギナルドは「独立戦争のあいだ、国旗は赤い帯を上にして掲げられていた」と証言しています。以降も、第二次世界大戦中や、1987年・1989年に起きた軍事クーデター未遂の際に、実際に赤上の「戦時国旗」が掲げられました。

意味を知らないと本当にただの掲揚ミスに見えるので、2010年にはニューヨークでの大統領関連の行事で、アメリカ側がフィリピン国旗をうっかり逆さまに掲げてしまい、謝罪する騒動になったこともあります。世界的にもこの意味はあまり知られていないということですね。

国旗のデザインと色、実は何度も変わっている

もう一つ面白いのが、国旗が変わってきたのは色だけじゃないということです。三角形の比率やデザインの細部も何度も見直されていますし、フィリピンにこの国旗自体が存在しなかった時代や、まったく違うデザインだった時代もあります。

フィリピン国旗の歴史。革命時のカティプナン旗の推移を除いても、これだけのデザイン変更があった。
革命時のカティプナン旗の推移を除いても、これだけのデザイン変更があった。
出典: Wikimedia Commons(CC BY-SA)
  • 1565〜1898年:スペイン植民地時代は、そもそも今のフィリピン国旗は存在せず、スペインの国旗に似た「ブルゴーニュ十字」など、全く違うデザインの旗が使われていた
  • 1892〜1897年:独立革命の母体となった秘密結社カティプナンが使っていた「KKK」の旗。正式名称「Kataas-taasang Kagalang-galangang Katipunan ng mga Anak ng Bayan(人民の子らによる、もっとも尊く敬愛されるべき会)」の頭文字で、赤地に白でKKKと書かれたシンプルなものから、KKKを三角形に配置したもの、創設者ボニファシオ個人の旗(太陽とKKKの組み合わせ)まで、いくつものバリエーションがあった。

ちなみにこのKKKは、アメリカの白人至上主義団体クー・クラックス・クランとは無関係。

1972年と独立百周年に「フィリピン国旗の進化」と題した切手セットが発行され、これらカティプナン旗が現在の国旗に一直線に「進化」したかのように紹介されたが、歴史家からは実際の変遷を単純化しすぎているとの指摘もある。
出典:Wikipedia「Flags of the Philippine Revolution」
1972年と独立百周年に「フィリピン国旗の進化」と題した切手セットが発行され、これらカティプナン旗が現在の国旗に一直線に「進化」したかのように紹介されたが、歴史家からは実際の変遷を単純化しすぎているとの指摘もある。
  • 1897〜1898年:香港に亡命していたアギナルドが1897年に現在の原型となるデザインを考案。当時は太陽に人の顔が描かれていた(アルゼンチンやウルグアイの国旗にある「五月の太陽」から影響を受けたとされる)。この旗が実際に掲げられたのは1898年6月12日の独立宣言時
  • 1907〜1919年:米比戦争後、フィリピン国旗そのものの掲揚が法律で禁止され、この期間はアメリカ国旗だけが公式に掲げられていた
  • 1936年:ケソン大統領が大統領令第23号で、白い三角形を正三角形にすること、旗の縦横比を1:2にすること、星の角度を厳密に定めることを規定。このとき太陽の「顔」も正式に廃止され、今のシンプルな太陽のデザインになった

「K」は革命のK?ライアン独自の考察

面白いのは、このKという文字そのものです。スペイン語のアルファベットでKは外来語にしか使われず、カ行は基本的にCで表記します。「Katipunan(カティプナン)」も本来なら「Catipunan」の方が”スペイン語的”には自然だったはずです。それでもあえてKを選んだところに、うちの旦那は「Cではなくあえてこの綴りを選んだこと自体に、革命的な意味が込められているんじゃないかな?」と言います。「あくまでも僕個人の予想だけどね」と本人は前置きしていましたが、実際フィリピンの言葉はその後もCやQをKに置き換えていく方向で正書法を整えていった歴史があるので、あながち的外れな見方ではなさそうです。ちなみに旦那の苗字は頭文字がC。タガログらしい響きの名前なのに、そこだけスペイン統治の血筋が残っているのが面白いところです。

8本の光線、それぞれ何を意味してるんだろう

フィリピン国旗にある星3つと太陽。これらにもきちんと意味がある。

太陽といえば、中心の太陽から伸びる8本の光線にも、実はよく知られた由来があります。1896年、スペインに対して最初に蜂起した8つの州を表している、というものです。

ただしこの「8州」、日本語サイトで調べても、フィリピンの学校の試験対策サイトで調べても、州のリストが微妙に食い違います。あるテスト教材ではマニラ、カビテ、ブラカン、パンパンガ、ヌエバエシハ、バタアン、ラグナ、バタンガス。別の教材ではバタアンの代わりにタルラックが入っている。

理由をたどると、1898年の独立宣言文そのものに行き着きました。フィリピン国家歴史委員会の資料によると、独立宣言のスペイン語原文では「タルラック」となっている箇所が、広く流通した英語翻訳版では「バタアン」に置き換わっているそうです。つまり建国文書の翻訳段階で生まれたズレが、そのまま学校の教材にまで引き継がれているということです。

このことを旦那に話したら、「大事なのは州(リージョン)であることで、市(シティ)じゃない」と前置きしたうえで、確実に言えるのはカビテとバタンガスくらいだと言っていました。「正直、みんなちゃんと覚えてないと思うよ。だってすごく表面的な情報でしかないから。正しく言える人は少ないし、言えない人の方が多いんじゃないかな」とのことです。独立宣言文書の翻訳者たちですら100年以上前に取り違えたくらいなので、今のフィリピン人が正確に暗唱できなくても無理はない気がします。

こんな話をしていたら、旦那が最後にこう言いました。「これも僕の勝手な考えだけどさ。8つ光線があって、それぞれに意味があったらかっこよくね?みたいなノリだったんじゃないの」

真偽のほどは分かりませんが、旗のシンボルに後から意味を当てはめていくのは、世界の国旗ではよくあることでもあります。8州のリストがこれだけ曖昧なまま100年以上引き継がれてきたことを思うと、あながち笑い話でもない気がしてきます。

青の色も、実はずっと同じじゃなかった

そしてもちろん、色そのものも何度も変わっています。特に青は、100年以上のあいだにこれだけの変遷をたどっています。

  • 1898年:当初の色は「azul oscuro(濃い青)」とだけ記録が残っていて、正確な色は不明。独立運動で連帯していたキューバ国旗の青の影響を受けたという説が有力
  • 1919〜1920年:アメリカ統治下で国旗掲揚が合法化された際、市場に出回っていたのがアメリカ国旗用の生地だったため、アメリカ国旗に近い「ナショナルフラッグブルー」を採用
  • 1943年:日本占領下の第二共和国が発足した際、アギナルドが独立当初の「キューバブルー」を復元して掲げた
  • 1985年:マルコス大統領が「建国当初の色に戻す」との名目で、より明るい「オリエンタルブルー」を新たに採用
  • 1986年:マルコス失脚(ピープルパワー革命)直後、アキノ大統領が1985年以前の色に差し戻し
  • 1998年〜現在:独立100周年を機に、共和国法第8491号で「ロイヤルブルー」が正式色として確定し、今に至る

政権が変わるたびに国旗の色まで変わっている、というのがなんともフィリピンらしいというか。国旗の色の変遷そのものが、この国の近現代史の縮図になっている気がします。

実はぜんぶ、一つの法律に行き着く

さて、ここまで見てきた「逆さま掲揚」も「色やデザインの変遷」も、実はすべて一つの法律に行き着きます。1998年制定の共和国法第8491号(国旗紋章法)です。

日本で今審議されている国旗損壊罪、その発想をフィリピンはもう30年近く前に法制化していました。ただしこの法律、大きく二つの柱でできています。

一つ目は、ここまで見てきた「逆さま掲揚のルール」。国が正式に戦争状態を宣言したときだけ、赤を上にして掲げることを認める規定です。

二つ目が「国旗そのものを守るルール」。損壊・侮辱・軽視を禁じるだけでなく、こんなことも禁止しています。

  • 国旗を商標として使うこと
  • 国旗を商品や工業・商業・農業ラベルのデザインとして使うこと
  • 国旗そのものに文字や図柄を書き加えること
  • 国旗をテーブルクロスや壁の覆いなど、装飾品として使うこと

この「改変禁止ルール」、実際の街ではどう運用されているのか。ここからが面白いところです。

なのに街は、国旗デザインだらけ

ここで、旦那から聞いた話を思い出しました。「フィリピン国旗って、色々アレンジされて使われてるよね」と。

フィリピンの知的財産庁(IPOPHIL)の見解では、国旗そのものは「国民の共有物」だから商標登録できない、としています。ただし企業が国旗の要素(色や星、太陽のモチーフなど)を使うことは、それが国旗の「忠実な再現」でも「国旗を冒涜するような改変」でもない限り、認められているんです。

つまり——

  • 禁止されているのは「本物の国旗を勝手に改造・使用すること」
  • 許容されているのは「国旗にインスパイアされた、独自のデザイン」

この境界線がかなり曖昧なので、街を歩けば国旗カラーのTシャツ、太陽と星をあしらったスニーカー、政府観光局のキャンペーンロゴまで、国旗モチーフのデザインが溢れています。法律上は「グレーゾーンを合法的に使い倒している」というのが、実態に近いと思います。

愛国心が強すぎるから、というより、法律自体がその余地をちゃんと残している。フィリピンらしい、というか。

あのミンダナオ島内戦のとき、国旗はどうなってたんだろう

もう一つの柱、「逆さま掲揚のルール」の話に戻ります。ここまで調べていて、ふと思い出したことがありました。ドゥテルテ政権下の2017年、ミンダナオのマラウィで起きた大規模な戦闘です。ISIL系の武装組織「マウテ・グループ」がマラウィ市街を占拠し、政府軍との戦闘は5月から10月まで続きました。市街地が壊滅するほどの、紛れもない「戦争」のような状況でした。

あのとき、国旗は逆さまになったのか。調べてみると、なっていません。

理由は、法律上の「戦時」の定義にあります。ドゥテルテ大統領がマラウィで発令したのは、大統領布告第216号によるミンダナオ全域の戒厳令(マーシャルロー)でした。これは憲法上、内乱や反乱に対処するための措置であって、国旗が逆さまになる「戦争状態(estado de guerra)」の宣言とは、法律上まったく別のカテゴリーなんです。

フィリピン憲法における正式な「戦争状態の宣言」は、議会の議決を経て行われる、国家対国家の戦争を前提にした手続きです。歴史的に赤上の国旗が掲げられたのは、米比戦争(対アメリカ)や第二次世界大戦(対日本)のように、相手が「国家」だったケースだけ。マラウィの相手はISIL系の武装組織という非国家主体だったので、政府としては最後まで「国内の治安作戦・テロ対策」という位置づけを崩しませんでした。もし正式に「戦争状態」を宣言してしまえば、法的には武装勢力を国家に準じる交戦主体として扱うことになりかねない、という事情もあります。

面白いのは、1987年・1989年の軍事クーデター未遂のときは実際に赤上の国旗が目撃されている点です。ただしあれは反乱軍側が勝手に掲げたもので、政府が正式に「戦争状態」を宣言したわけではありません。

つまり赤上の国旗は、たとえ国内で大規模な軍事衝突が起きていても、政府による正式な戦争状態宣言がない限り掲げられない。実際に使われる場面は、驚くほど狭く限定されているということです。

こんなふうに運用されているフィリピンに対して、日本はどうなんだろう、とふと思いました。

なぜ日本は、国旗にこんなに「硬い」んだろう

ここまで調べていて、ずっと考えていたことがあります。どうして日本は、国旗ひとつを扱うのにこんなに身構えるんだろう、と。

自分の国の国旗を大事にしようっていう法律、素敵じゃない?

日本で国旗が「硬い」話題になりがちなのには、歴史的な理由があるのはわかっています。実際、私自身にも思い当たる記憶があります。中学校の卒業式でのことでした。国旗掲揚と君が代斉唱がある式典で、事前に担任から「歌わず着席する」ように暗に促されて驚いたんです。その担任は国語の先生で、君が代の歌詞の意味を聞いたら「本当はただの恋の歌なんだよ」と教えてくれました。でも戦争の時のイメージがどうしても拭えないから、「先生たちが国歌を拒否することをわかって欲しい」。

いやいやいや。私の卒業式なんだけど!国が建てた学校から卒業するんだし、ハレの日にボイコットとかやめてよw

国旗もまったく同じ扱いを受けてきました。

「国旗や国歌を大切にする」という行為そのものに、歴史認識や政治的にネガティブな立場でコーティングされる。潔いデザインなのに、もやっとしてしまう我らが日の丸。

一方フィリピンの国旗は、スペインとアメリカという二つの植民地支配からの独立闘争の象徴として生まれたもので、政権への忠誠というより「独立を勝ち取った民衆の物語」に紐づいています。いろいろあったけど、もはやポジティブしかない。だからフィリピン人が国旗を身近に飾ることは、特定の政治的立場を意味しません。

国がどれだけ自分によくしてくれているかは、正直また別の話だとしても、それでも国旗をこんなに身近に感じている国民性は、日本人の私からするとかなり新鮮でした。うちの旦那も「フィリピンの国旗は、デザインとして世界で一番かっこいいと思う」と、本気で言っています。

羨ましいなあ。

国旗が、我が家の犬たちを守る「お守り」になった日

最後に、少し個人的な話をさせてください。

うちには「アスピン」と呼ばれる現地犬が2匹います(アンバーのレスキュー体験イスラのレスキュー体験)。血統書のない、いわゆる雑種犬のことです。フィリピンでは、アスピンというだけで「怖い」「汚い」と敬遠されてしまうことが今でも少なくありません(フィリピンの野良犬問題について)。

あるとき、義理の母と一緒に、うちのアスピンのイスラとミックス犬のプーチンのためにフィリピン国旗を意識した服を作ったことがあります。母が赤・青・白の3色の布を縫い合わせ、私が白い部分にあの特徴的な星を刺繍しました。血統書がないというだけで大事にされてこなかったアスピンと、フィリピン人が誇りに思う国旗とを、なんとか結びつけたかったんです。

フィリピンの犬・アスピンのイスラ
こちらはパグとビーグルのミックスで、パピーミルからきました。

その服を着せて歩かせると、見た人たちはすごく喜んで、敬意を払ってくれた。国旗という、法律で細かく守られ、政治的にも扱いの難しいシンボルが、うちの犬にとっては、誰かに大事にしてもらうための、「お守り」になった瞬間でした。

数ヶ月もしないうちに泥んこになり、あっという間にボロボロになってしまったんですが。アンバーやその他の犬たちに作る気力が…もっと簡単に、あんな服を作れたらいいのにな。

考えてみると、こういう「国旗に気持ちを乗せる行為」は、日本でもフィリピンでも、ちゃんと守られているようです。ただ、その理屈は少し違います。

日本の国旗損壊罪は、「不快・嫌悪の情を催させる方法かどうか」で線を引いています。卒業式や応援でよくある寄せ書きは、祝意や激励という前向きな気持ちの表現だから対象外、という整理です。つまり行為の方向性を見ている。

一方フィリピンのRA8491は、「本物の国旗そのものを改変したかどうか」で線を引いています。うちのアスピンの服は、実物の国旗ではなく、国旗にインスパイアされた別の布製品だから、そもそも規制の対象にすら当たりません。つまり触れているのが本物かどうかを見ている。

行き着く先は同じでも、判断の物差しが違う。政治のことはともかく、私は日本の国旗も、フィリピンの国旗も好きです。

Kumiko Sato
✍ Author
Kumiko Sato

フィリピン在住の日本人ブロガー。文化・食・日常生活をテーマに、日本とフィリピンのあいだにある歴史や文化のつながりを紹介しています。
フィリピン人の夫とカビテ州アマデオで暮らしながら、海外生活のリアルを記録しています。

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