冷たいスープは、悲しい。——フィリピン人が冷たい料理を食べない理由

冷たいスープは、悲しい。——フィリピン人が冷たい料理を食べない理由

「それ食べて、悲しくならない…?」

フィリピンに来てしばらく経ったころ、当時ボーイフレンドだったライアンにそう言われました。

そうめんの話をしていたときのことです。

そうめんが消えた夏

日本にいたころ、夏になると決まってそうめんをもらっていました。
お中元の定番。電話帳と一緒に積み重なった箱。
これは去年の、これは今年の。
なかなか減らない、あのそうめん。

フィリピンに来るとき、少し持ってこようかと思ったくらいでした。でもやめたんです。「日本より南にあるこんな暑い国なんだから、そうめんみたいな冷たい麺料理くらいあるだろう」と思って。

あまかった。

探せど探せど、ない。冷たい麺料理が、まるでないんです。ざるそばもないわけではないけれど、リトルトーキョーや昔からある個人経営の日本食屋さんに行かないとまずお目にかかれません。

そのうち、実家の父がよく作ってくれたヴィシソワーズのことを思い出しました。冷たいじゃがいものスープ。こんなに暑い国で食べたら、どれだけおいしいだろう。なんでないんだろう。

そこでライアンに聞いてみました。「フィリピンって、なんで冷たい料理がないの?」

冷たい料理って「悲しくならない?」

太い眉をぐっと寄せて、ライアンはこう言いました。

「そんなの、僕ら食べられないもん……」

それだけじゃなかったんです。

「そんなの食べて、悲しくならない?」

悲しくなる。冷たいそうめんやヴィシソワーズを食べて、悲しくなる。

意味がわかりませんでした。

「いや、全然。暑い時って食欲落ちるじゃない。そうめんは茹で上がるのも早いし、消化にもいいし、最高だよ」

…と答えました。

するとライアンはこう言いました。

「ご飯を温めてくれる時間すらなかったんだ、みたいに見えるんだよ。日本だってそうでしょ。家庭の味とか、お母さんの手料理って言ったら、絶対にあったかいはずだよ」

「僕らのパレットにない色」

じゃあライアン個人の感覚だけなのか。他のフィリピン人たちはどうなんだろう。

そう聞くと、ライアンはこう答えました。

「それは単純に、僕らにそういう冷たい料理ってのがないからだと思うよ。普通に、僕らのパレットにはない色と同じなんだ」

パレットにない色。うまい言い方だなあと思いました。冷たい料理が嫌いなわけじゃない。ただ、そもそもそういうカテゴリーが存在していない。

ああ、そういうことか。でもそれって、なんでそもそもないんだろう。

「じゃあなんでないんだろう?」と聞くと、ライアンはさっきの話に戻ってきました。

「それはやっぱり、僕の最初の感想に繋がっていくんじゃない? 冷たい料理=レイジーなお母さん=悲しい」

…たしかに「お母さんがよく茹でてくれたそうめん」はお袋の味にはならないですよね。

根本はフィリピン独自の民間医学からきてるのか?

ここでちょっと待って、とも思います。

ライアンは冷たいものが嫌いなわけじゃないんです。次の日に冷蔵庫から出した冷たいピザは普通に食べます。冷たい飲み物だって日常的に飲みます。halo-haloだって大好きです。あの氷だらけのデザートを、誰も「悲しい」とは言いません。

つまり「冷たいもの全般がダメ」じゃないんですよね。

ただ、体に「入れるもの」としての冷たさには、もう少し複雑な事情もあります。

フィリピンにはPasma(パスマ)に気をつけろ?

フィリピンにはPasma(パスマ)という民間医学の考え方があります。「体が熱くなっている時に、急に冷たいものや水、風に触れると体調を崩す」というものです。

ライアンもフィリピンに来たばかりのころ、よく言っていました。

「パスマになるから今すぐお風呂に入らないほうがいい」

外から帰ってきたばかりの私に。ジープニーに乗って体がもう汗と排気ガスの煤だらけなんですけど。

雨で頭が濡れても「パスマになる」と心配するんです。2015年に私が流産したときも、よく行くスーパーの警備員のお姉さんに「かわいそうに。雨の日に頭を覆ってなかったからよ」と言われたことがありました。それくらい、日常のあちこちにある考え方なんです。

医療人類学的に見ると、Pasmaの背景にはinit(熱)とlamig(冷え)の相互作用という世界観があるとされていて、主流医学の正式な病名ではないけれど、多くのフィリピン人にとってはかなりリアルな言葉です。

フィリピン人が冷たいものを完全に避けているわけではなく、「体の中の熱と冷えのバランス」に対して、日本人よりずっと敏感なのかもしれません。

そしてそれが食事になると、話はもう一段深くなります。

フィリピンでは、雨の日、体調が悪い日、なんとなく気持ちが沈む日に食べたくなるのが、温かい汁物です。arroz caldo、sopas、tinola、sinigang。雨音を聞きながら湯気の立つsabaw(あたたかいスープの意)を飲む感覚は、ただ体を温めるというより、家に守られているような感じに近い。

だからスープだけは、冷たくなってはいけないんです。冷たい飲み物はリフレッシュ。でも温かいスープは愛情と安心感。冷たいスープには、その意味の置き場所がありません。

ライアンのティノーラ

ライアンの得意料理のひとつに、ティノーラがあります。

チキンと青パパイヤ、モリンガの葉を使ったスープで、栄養価が高く、体に優しい料理です。以前、どさんこワイドの取材でうちに来てくれたまさとくんが遊びに来たときも、ライアンはティノーラを作って食べさせていました。

そして気がついたことがあります。私が具合の悪い時、雨に濡れて帰ってきた時、ライアンがよく作ってくれるのがこのティノーラなんです。

「冷たい料理=だらしないお母さん=悲しい」と言ったライアン自身が、温かいスープで愛情を表現しています。

私たちは夫婦でありながら、お互いのお父さんやお母さんになって世話をしあっています。私がお父さん役の時もあれば、ライアンがお母さん役になる時もある。だからこそ余計にそう感じるのかもしれません。

ライアンにとって、温かいスープを作ることは、愛情の形そのものだから。

冷たいスープが「悲しい」理由が、ようやくわかった気がしました。


しかし、私が韓国冷麺への愛を止めることはできません。

今でもマカティにある韓国料理屋さんの350ペソの冷麺が好きすぎて、これを食べるためだけにわざわざ高速に乗って出かけることもあります。(ここに住む韓国の友人たちは「そこまで美味しいか…?」と首を傾げるんですが。)

冷麺を一口して「わー、これ喉に通らないよー」といってトイレに駆け込んだ彼も、私のために運転してくれます。

私は氷が入った冷麺、彼はほかほかのチヂミを食べる。

こうして異文化カップルは今日も好きなご飯を食べて暮らしています。

Kumiko Sato
✍ Author
Kumiko Sato

フィリピン在住の日本人ブロガー。文化・食・日常生活をテーマに、日本とフィリピンのあいだにある歴史や文化のつながりを紹介しています。
フィリピン人の夫とカビテ州アマデオで暮らしながら、海外生活のリアルを記録しています。

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