いとしのエリー 歌詞の意味とは?サザンの名曲がフィリピンでも愛された理由

いとしのエリーがフィリピンで“ローカルソング”に?歌詞の違いと時代背景
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「いとしのエリー」の歌詞が何を歌っているのか、ふと気になったことはありませんか?

サザンオールスターズの代表曲であるこの歌には、日本語なのにはっきり聞き取りにくい歌詞が多く、「実際どんな意味なの?」と思っている人も多いはず。
フィリピン在住13年の筆者が、日本版の意味とフィリピン版との違いを丁寧に解説します。

目次

「いとしのエリー」歌詞の意味:どんな歌?

「いとしのエリー」は1979年にリリースされたサザンオールスターズの楽曲で、桑田佳祐さんが作詞・作曲しています。

曲全体のテーマは「愛する女性への切ない想い」です。

歌詞の意味をかみ砕くと、こんな情景が浮かびます。

  • 遠く離れた、または別れを予感させる愛する人を思っている
  • 「エリー(Ellie)」という名前の女性に呼びかけながら、「愛してる」「そばにいてほしい」という気持ちを繰り返す
  • 英語と日本語が混ざった歌詞が、当時としては斬新で「おしゃれだけど意味が分からない」と話題になった

桑田佳祐自身が「歌詞の意味よりサウンドとして言葉を選んだ」と語っていたこともあり、意味よりも音感・響きを優先した部分が多い歌詞です。だから聞き取りにくくて当然、ということでもあります。

タイトルの「エリー」は誰のこと?

「エリー(Ellie)」は特定の実在人物ではなく、桑田佳祐が思い描いた架空の愛する女性像だとされています。英語名をあえて使うことで、より甘く切ないニュアンスを出したとも言われています。


日本版とフィリピン版、歌詞の”雰囲気”はこんなに違う

この曲がフィリピンでも大ヒットしていたのをご存じでしょうか。

  • いとしのエリー(サザンオールスターズ)
     → タガログ版:「Honey My Love So Sweet」/April Boys

フィリピン版は「Honey My Love So Sweet」というタイトルで、April Boysというグループがタガログ語でカバーし、1990年代にフィリピンのオリジナル曲として定着しました。

日本版のニュアンス

甘くて切ない。愛する人への純粋な想いを、どこかぼんやりとした夢のような言葉で綴っています。はっきり「悲しい」とも「つらい」とも言わない、余白の多い歌詞。

フィリピン版のニュアンス

フィリピン版はもっと直接的です。意訳すると「どんなに冷たくされても、君だけを愛している。愛していると言ってほしい」という内容で、片思いで報われない男の切実な嘆きがストレートに描かれています。

同じメロディーなのに、日本版は「美しい夢の中にいるような愛」、フィリピン版は「報われない現実の愛」。文化によってこんなに違う解釈になるのは、とても面白いですよね。

ちなみにフィリピン人の夫・ライアンいわく、「フィリピンでは当時『男がダサすぎる歌』として笑われることもあったけど、みんなこっそり好きだった」とのこと(笑)。


なぜ日本の歌がフィリピンで”フィリピンの曲”になったのか

ある夜、STV札幌テレビで世界一周中の旅人・まさと君がうちに泊まりに来てくれたとき、一緒にフィリピン料理「ティノーラ」を作りながら「いとしのエリー」をかけていました。

その瞬間、フィリピン人の夫・ライアンと私が顔を見合わせて──

「それ、フィリピン版もあるの知ってる…?」

この曲に限らず、1990年代のフィリピンでは日本のヒット曲が「フィリピンのオリジナル曲」として流通するケースが多くありました。

  • 竹内まりや「シングルアゲイン」→ タガログ版「Lumayo Ka Man Sa Akin」
  • 徳永英明「最後の言い訳」→ タガログ版「Ikaw Pa Rin」

現地の人たちは「これはフィリピンの歌!」として聴いていたわけです。インターネットが普及して「実は日本の曲だった」と知ったとき、ライアンはかなりショックを受けたひとりでした。

なぜこんなことが起きたのか?

大きく3つの理由があります。

① マルコス政権時代からの「翻訳カバー文化」

1965〜1986年のマルコス政権時代、ラジオには洋楽があふれていましたが、英語では庶民には少し距離がある。そこでタガログ語に訳してカバーする文化が広まりました。Victor WoodやEddie Peregrinaなど”ジュークボックス・キング”と呼ばれる歌手たちが人気を集め、「翻訳カバーされた曲はもう自分たちのもの」という感覚が定着していきました。

② フィリピン人エンターテイナーが日本から持ち帰った

1980年代の日本のバブル期、多くのフィリピン人バンドや歌手が日本のクラブやホテルで働いていました。日本の曲をレパートリーとして覚え、帰国後にフィリピンで披露し、それが広まっていったとライアンは分析しています。

③ メディアが原曲を紹介しなかった

90年代の音楽番組やラジオは、「これは日本の曲のカバーです」とわざわざ説明しないことが多かった。結果として自然に「フィリピンの歌」として定着しました。

フィリピン独自の価値観や暮らしの背景に興味がある方は、仕送り文化について書いた記事もあわせてどうぞ。


フィリピンでの「いとしのエリー」あるある

  • 「この曲、日本の歌だよ」と言うと「えっ?!」と本気で驚かれる
  • カラオケでは誰もが知っている定番ソング
  • ライアンの幼なじみは「好きだったけど、男らしくないから人には言えなかった」と告白してくれた(笑)

音楽に国籍はあるのか

同じメロディーが、日本では「切ない純愛の名曲」として、フィリピンでは「ダサくてもこっそり好きな曲」として、それぞれの文化の中で生き続けている。

翻訳やカバーを繰り返すうちに「誰のものでもなくなる」現象は、音楽の面白さそのものだと思います。

その夜、まさと君は「いとしのエリー」は歌えたけれど、他の曲は「知らないです…」とのこと。まあ、23歳も年が違いますからね(笑)。世代と文化のギャップを思い知らされた夜でした。


なぜ日本の歌がフィリピンソングになったのか?

公式に語られた文献などはありませんが、理由は大きく3つあります。

1960~70年代:洋楽カバーはマルコス政権時代から

フィリピンでは昔から、海外のヒット曲をタガログ語に訳して歌う文化が根づいていました。
この流れが強くなったのは 1965〜1986年のマルコス政権時代

当時、国内では検閲や統制が厳しかった一方で、アメリカ文化の影響が非常に強く、ラジオやジュークボックスからは洋楽が絶えず流れていました。
ただし、母国語より、ランクが高いイメージのある英語の歌詞では庶民にとって距離がある。

そこで、洋楽をタガログ語に翻訳して歌う「カバー文化」 が広まりました。

Victor Wood や Eddie Peregrina など、“ジュークボックス・キング”と呼ばれる歌手たちが、洋楽ヒットをタガログ語で歌い直して国民的人気を獲得したそうです。
(→ Victor Wood – WikipediaEddie Peregrina – Wikipedia)。

この頃から「翻訳カバーされた曲は、もう自分たちのもの」という感覚が一般に浸透していきました。

1980年代〜90年代、今度は日本の歌が

マニラ・サウンド(Manila Sound)の隆盛

1970年代半ば〜後期には、「Manila Sound(マニラ・サウンド)」というジャンルが登場しました。この流行音楽は、ロックやジャズ、ディスコ、そしてアメリカンポップの影響を融合させつつ、タガログ語やタグギッシュ(タガログ+英語)で歌われる親しみやすいスタイルが特徴でした 。(→ Manila Sound – Wikipedia)。

このジャンルはまさに、「海外のサウンドをフィリピン風にローカライズして届ける」音楽文化の象徴でもありました。

こうした土壌があったからこそ、1980年代以降に日本へ出稼ぎに行った、たくさんのフィリピン人エンターテイナーたちが持ち帰った文化や音楽がフィリピンに入ってきたとき、
「日本の歌をタガログ語にカバー → フィリピンソングとして定着」という現象がスムーズに起きました。

つまり、マルコス政権下の翻訳カバー文化が、日本の曲が“OPM”として受け入れられる下地になった わけです。

メディアの紹介の仕方

90年代の音楽番組やラジオは、原曲が日本の曲だとわざわざ説明しないことも多かったんです。結果、自然と「これはフィリピンの歌!」になっていきました。

日比音楽交流の歴史:フィリピン人エンターテイナーたちが日本へ

1980年代、日本のバブル景気でフィリピン人バンドや歌手が大量に日本へ。
クラブやホテルで演奏するには日本の曲を覚える必要があり、そのまま持ち帰った歌がフィリピンでもヒット。

ライアン曰く:

80年代に日本で活躍したエンターテイナーたちが、曲を持ち帰って広めたんじゃないかな。マルコス政権崩壊後の自由化で、一気に広まったんだと思うよ。

なるほど、これは納得。

日本版 vs.フィリピン版。歌詞の違いを比べてみると…?

さて、話は戻って「いとしのエリー」。
日本版は“切ない別れのバラード”として有名ですが、フィリピン版の歌詞はかなり違います。

タガログ版「Honey My Love So Sweet」を意訳すると、だいたいこんな感じ。

注意:歌詞の意訳はライアンに監修してもらいました。

どうして僕はいつもこうなんだろう。
君はいつも僕を大事にしてくれない。

まるで僕が思いのままでいることが、当たり前とでもいうように扱うんだ。
どんなに冷たくあしらわれても
僕はいつも君を優先しているというのに。

ハニー、マイ・ラブ、ソー・スウィート。

冷たくされたって、僕は怒ったりしない。
だって僕には分かっているから──君の本当の気持ちを。

僕たちが一緒にいるとき、どんな気持ちでいるかなんて、
君は知らないんだね。

愛している。君がどんな人であっても。
僕は君だけを愛している。

どうか、愛していると言って。
僕の声を聞いて、ハニー。

ハニー、マイ・ラブ、ソー・スウィート。

うん、フィリピン版は……「好きな女に振り向いてもらえない情けない男の歌」ですね(笑)。

日本では、弱さや未練を美しく歌い上げた“泣ける名曲”なのに、フィリピンでは“とことんダサい男の曲”として扱われることもあったそうです。

フィリピン人の受け止め方

ダサい曲だから人気がなかった?答えはNO。

フィリピンは「恋愛ソング=カラオケで盛り上がる国民的娯楽」。
だから「いとしのエリー」も楽しく歌われる場面が多い。今も多くの人に愛されている曲です。

でも同時に、世間では当時、「男が弱すぎてちょっと恥ずかしい歌」とも言われていました。
ライアンの小さい頃からの親友も、実はこの曲が大好きだったけれど「人には言えなかった」と話してくれました。

みんなこっそり心の中では共感していたのかもしれません。

現地での“あるある”

  • 「この曲、日本の歌だよ」と言ったら「えっ?!」と驚かれる
  • カラオケでは誰もが知っている定番ソング
  • テレビでも普通に“フィリピンの曲”として紹介されていた

在住者としては、こういう瞬間に「文化の伝言ゲーム」みたいなおもしろさを感じます。

音楽の国籍って何だろう

同じ曲でも、文化によって受け止め方は全く違う。
そして翻訳やカバーを繰り返すうちに、「誰のものでもなくなる」現象が起きる。

でもそれこそが、音楽の面白さ。
日本では“泣ける名曲”、フィリピンでは“ダサいけど心に残る歌”。
それでも両方の国で人々の記憶に残り続けているのは、音楽に国境がない証拠です。

こういう作品に触れると、日本のコンテンツっていいなと改めて思います。

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フィリピンで読める日本のKindle本まとめ

「いとしのエリー」の歌詞が伝えること

  • 歌詞は愛する人への切ない想いを、音の響きを優先した言葉で表現している
  • 意味よりサウンド重視で書かれた歌詞なので、「聞き取れない・意味が分からない」のは当然
  • フィリピン版「Honey My Love So Sweet」は同じメロディーで「報われない片思いの男の歌」として定着
  • 両国で愛され続けているのは、メロディーが持つ普遍的な感情の力があるから

Kumiko Sato
✍ Author
Kumiko Sato

フィリピン在住の日本人ブロガー。文化・食・日常生活をテーマに、日本とフィリピンのあいだにある歴史や文化のつながりを紹介しています。
フィリピン人の夫とカビテ州アマデオで暮らしながら、海外生活のリアルを記録しています。

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