「おい。言葉に気をつけろよ」
普段どんな人にも礼儀正しい夫が、そう言った瞬間がありました。ご近所に住む、少々問題ありのシニア男性に「Putang ina」と言われたときのことです。もしあのとき「mo」がついていたら、ただじゃ済まさなかったと夫は言いました。
「Putang ina」と「Putang ina mo」。このmoひとつの違いが、この言葉を理解する上で一番大事なポイントです。
「Putang ina mo」を分解する
まず言葉を分解します。
- puta:売春婦(スペイン語由来)
- ang ina:母親(タガログ語)
- mo:お前の(二人称代名詞)
直訳すると「お前の母親は売春婦だ」。英語のfuck youやson of a bitchに近いニュアンスで使われます。
英語のfuckと同じように「すごい、ひどい、ちくしょう」という感情表現として使われますが、響きはかなり辛口です。Putang inaだけでも「お前の母親は〜」という意味がすでに連想されるので、moがなくても相手の胸にそのまま刺さってくる。これはフィリピンに13年住んでいる私の肌感ですが、英語のfuckとは重さが違うと思います。
フィリピンはお母さんを大切にする、家族のつながりが重要な国です。だからこそ、この言葉で気分を害して攻撃し返してくる人もいる。使う場面には気をつけた方がいいです。
ただしフィリピン人の多くは、字義通りに受け取っているわけではありません。強い感情の爆発を表す言葉として、意味そのものより「感情の勢い」として使われることが多いです。
なぜスペイン語がフィリピンの悪口になったのか
「puta」がスペイン語というのは偶然ではありません。
フィリピンは1565年から1898年まで、約330年にわたってスペインに植民地支配されていました。その間にスペイン語の表現がタガログ語に混ざり込み、スペイン語の「hijo de puta(売春婦の息子)」がタガログ語の「ina(母)」と合わさって「putang ina」になったとされています。
フィリピンの強い悪口の多くはスペイン語由来です。
- gago(バカ)→ スペイン語のgago(どもり・愚か者)
- bobo(アホ)→ スペイン語のbobo(おろか者)
300年以上の植民地支配が、言葉の中にそのまま残っているわけです。
「Putang ina」と「Putang ina mo」は別の言葉
ここが一番大事なポイントです。
| 表現 | ニュアンス |
|---|---|
| Putang ina | 「ちくしょう!」感嘆詞に近い 状況によって相手の攻撃とも取られかねない |
| Putang ina mo | 「お前の母親は〜」特定の相手への直接攻撃 |
「mo(お前の)」がつくかどうかで、意味がまったく変わります。
Putang inaは、うまくいかないことへの独り言や、思わず漏れる衝撃の言葉として使われることが多いです。夫はあまり悪い言葉を使わない人ですが、スケートボードの動画を見ていて思わず「Puta…!」と小声で漏らすことがあります。そういう感じです。
でもPutang ina moは、特定の人間に向けた言葉になります。冒頭のエピソードに戻ると、ご近所の男性が言ったのは「Putang ina」でした。だから夫は「言葉に気をつけろよ」と警告するにとどめた。「mo」がついていたら話は別だったと言います。
夫は私にも言葉遣いに気をつけるよう言っています。その理由が印象的でした。
「どんなに嫌な人でもリスペクトを見せたいんだよね。それは自分の品位にもつながるし、簡単に罵るような人と同じレベルに立つ必要もない」
「本当に罵りたいような人物と話を続けたいなら、もっとクリエイティブなやり方がある。僕はそっちで会話をしたい」
Putang ina moを使わない理由が、品位とクリエイティビティだというのが夫らしいと思います。
ソーシャルステータスによって使われる頻度も違う
Putang inaは男性どうしで使われることが多いです。女性が使っているのはあまり聞きません。でもそれは暮らし方にもよって違ってくるみたいです。
フィリピンにはソーシャルクラスがあり、使われる場面や頻度はクラスによってかなり違います。不法占拠者が住むエリア、ちょっと荒れた地域などなどで耳にするタガログ語はまた別な響きがある様です。
夫から聞いた話で印象的だったのが、夫の妹が子どもの頃、外で耳にしたPutang inaを忠実に真似してお母さんを絶句させた、という笑い話があって。
「発音とかももちろんあるけど、句読点みたいに、とにかく文章の終わりに必ずPutang inaをつけるんだよ。男も女も、もう息継ぎをするようにPutang inaを言う」
関連語:punyeta(プニェータ)
putang inaより格段にマイルドな悔しさの表現として、punyetaという言葉があります。同じくスペイン語由来で、「ちくしょう」「くそっ」に近い感覚です。
フィリピン人なら誰でも知っているのが、2015年公開の映画「Heneral Luna」です。フィリピン・アメリカ戦争(1899年)を舞台に、フィリピン革命軍の将軍アントニオ・ルナの生涯を描いた歴史映画で、フィリピンで大ヒットしました。その中で将軍が
「Ingles-inglesin mo ‘ko sa bayan ko, punyeta!(自分の国で外国語を使わせるのか、プニェータ!)」
…と叫ぶシーンが有名で、今もフィリピン人に広く引用されています。
最近では「Nyeta!」と短縮して使う人も増えています。ちょっとふざけた感じで使うカジュアルな表現です。
面白いのはそのイメージで、どこか文化的でクラスがある響きがあるのに、同時にバッドボーイっぽい。日本でいうところの「ちょいワルオヤジ」とでもいうんでしょうか。ソーシャルステータス高めの中年男性が使うイメージがあります。putang inaより品があるけれど、お行儀がいい言葉でもない、という絶妙な立ち位置の言葉です。
日常でよく聞こえる短縮形
フィリピンに住んでいると、いくつかの形で耳にします。
- Tang ina:putangの「pu」を省略した形。よりカジュアル
- Tang ina mo:同じくmoつきの直接攻撃版
- PI:頭文字だけ。オフィスや公の場でオブラートに包むときに使われる
まとめ
- putaはスペイン語由来、330年の植民地支配の産物
- Putang inaは感嘆詞的な「ちくしょう!」
- Putang ina moはmoがつくことで特定の相手への直接攻撃になる
- 男性どうしで使われることが多く、ソーシャルクラスによって頻度が大きく違う
- moのある・なしは大きな違い。気をつけて
フィリピンに住んでいると、この言葉は本当によく耳にします。意味と使われ方を知っておくと、フィリピン人の感情表現がもう少し理解できるようになると思います。
日本語に同じ熱量の悪口はあるか
フィリピン人からたまに聞かれることがあります。「日本語にもputang ina moみたいな強い言葉あるの?」と。
正直に言うと、同じ熱量の悪口は日本語にはないと思います。
「このやろう」「ばかやろう」「くたばれ」——感情の勢いはあっても、「お前の母親は〜」という家族を直接攻撃する構造の言葉は日本語にはほぼありません。文化的に、そういう言葉が発達しなかったんだと思います。
それを伝えると、よく言われます。「だから日本人は礼儀正しいんだね」と。
複雑な気持ちになります。私は喜怒哀楽が全部出る激情型なので、日本人に見られないことが多いんです。フィリピンに13年いると、気づいたら感情表現がフィリピン寄りになっていたのかもしれません。言葉は使う人を変えるし、住む場所も人を変えるんだなと思います。

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