フィリピンに来て最初に驚くことのひとつが、モールの多さです。
とてもGoogleマップには表示仕切れないほどの軒数があります。
日本にも大きなショッピングモールはありますが、フィリピンのそれは規模も密度も、そしてモールへの向き合い方も、全然ちがいます。
マニラ首都圏だけでも大小あわせて数十のモールがあり、地方の都市にも必ずといっていいほどSMやロビンソンズの看板が見えます。

大きなチャンゲといえば、巨大ショッピングモールの「グリーンヒルズショッピングセンター」が有名ですが、こうして期間限定ででる屋台っぽいチャンゲもあります。
「なんでこんなにあるんだろう?」
フィリピンに来たばかりの頃、純粋に不思議でした。
10年以上住んだ今は、わかります。モールが多いのには、ちゃんと理由があります。というか、フィリピンという国の気候・文化・社会構造を理解すると、モールが多くなるのは必然とすら思えてきます。
① 外を歩くには、フィリピンは暑すぎる
まず単純に、暑いです。
フィリピンは年中30℃前後。雨季になれば突然のスコールが来て、数十分で道路が川になります。湿度も高いので、ちょっと外を歩くだけで体力を消耗します。
日本のように「ちょっとそこまで」を徒歩でこなすのが、フィリピンではなかなかしんどい。
しかもフィリピン人たちは、近距離でも歩かずに車を使いたがります。沖縄の人もそういう傾向があると聞きましたが、暑い地域ってそうなるんでしょうか。
だから、涼しくて・雨をよけられて・駐車場がある場所に自然と人が集まります。それがモールです。
② 車も人も、浸水のときに逃げ込む場所
これは日本にいると想像しにくいかもしれませんが、フィリピンの浸水は規模がちがいます。
台風が来たり大雨が続いたりすると、住宅街の道路が川になるだけでなく、駐車してある車の胸のあたりまで水が上がってくることが普通にあります。
そういうエリアに住んでいる人たちは、洪水のたびにショッピングモールの駐車場に車ごと避難するのが恒例になっています。モールの駐車場は高台にあったり、建物の中だったりするので、水害から守れるんですね。
私たちはラッキーなことにそこまでやったことはないのですが、マカティに住んでいたころ、パーキングエリアに水位が上がってっくるのを見ながら、何度か「今夜やろうかな」と思ったことがありました。
モールは「買い物する場所」ではなく、街のインフラなんだと実感した瞬間のひとつです。
毎年繰り返される浸水に、それでも笑顔で向き合うフィリピン人のメンタルについては、こちらの記事で書いています。
→ 洪水で水没する街に住むフィリピン人の、笑いに変える強さ
③ 役所の手続きまでモールで済む
これも最初は驚きました。
フィリピンのモールには、スーパー・レストラン・映画館だけでなく、銀行・病院・クリニック・政府機関の窓口まで入っています。
BDOやBPIといった大手銀行はほぼどのモールにも支店があり、SSS(社会保険)やパスポート関連の手続きも、モール内のオフィスでできるんです(BDOはSM系の銀行です)。
私が初めて実感したのは、フィリピンに来てすぐのころ。観光ビザの延長日数を数え間違えて、1日オーバーしたまま滞在してしまったことがあったんです。
焦って相談した義父(当時はまだ「ティト(おじさん)」と呼んでいました)が、なぜか「そのまま更新しないでいたらどうだ」と大真面目に言い出して。今では法律関係の仕事をしている人なんですが、あのときの発言は今でも謎です(笑)。
青ざめながら向かったのが、ケソンシティにあるSM North EDSAモール。そこで手続きを無事に済ませることができました
(つまり更新料とペナルティを支払った)。
役所的な機能がモールの中にある、というのは日本ではあまりない感覚ですよね。でもフィリピンでは、モールに行けば大体のことが解決するという安心感があります。
④ モールの中身が、とにかくカオスすぎる
それと、フィリピンのモールは入ってるお店のジャンルの幅がすごいです。
タトゥーショップ、本物の銃やナイフを売っているお店、整形・美容外科クリニック。
これ、全部モールの中にあります。日本のイオンにタトゥーショップと銃砲店が並んでいるのを想像してみてください。なかなかのシュールさです。
さらに言うと、どう考えても怪しい輸入品を売っているモールもあります。有名なのはキャッシュアンドキャリー。あそこに行くと、流通ルートがよくわからない商品がいろいろ売っていて、あけすけというか、オープンすぎるというか。
フィリピンのモールは、日本的な「統一感のある商業空間」とは少しちがって、街の雑然とした生命力ごと入ってる感じがします。それがまた面白いんですが。
⑤ 公共の「居場所」であり、無料で楽しめる場所でもある
日本だと、公園・図書館・公民館など、無料で安全に時間を過ごせる場所がけっこうあります。
フィリピンにも公園はありますが、暑い・安全面が気になる・設備が整っていないという理由から、長時間過ごす場所としては使いにくいことが多いです。
結果的に、デートもモール、家族のお出かけもモール、友達との待ち合わせもモールになります。
しかもフィリピンのモールは、ただいるだけでも楽しい。フードコートやアトリウムでは無料のイベントやライブパフォーマンスが開かれることも多く、お金に余裕のない若い人たちでも気軽に来られる場所になっています。
そういう「誰でも来ていい空間」であることが、フィリピンのモールの懐の深さだと思います。
忘れられない思い出:電気屋さんが突然コンサート会場になった瞬間
私が今も忘れられないのが、まさにそのキャッシュアンドキャリーモールでの出来事です。
電気屋さんの店頭にカラオケマシーンが置いてあって、店員さんもお客さんも自由に歌える雰囲気になっているんですが、そこにスリッパ姿の若い男性がふらっとやってきました。20代くらい、船乗りの方です。
彼が歌いはじめたのが「The Prayer」——セリーヌ・ディオンとアンドレア・ボチェッリのあの曲です。
1人で女性パートも男性パートも、全部こなしてしまった。しかも、プロよりも素晴らしい歌声で。

気がつけば、1階から3階まで人が取り囲んで、コンサート会場みたいになっていました。
感激して号泣しながら100ペソのチップを渡して「ガンバッテクダサイ」と言ったら、彼はチップをもらうのにも慣れた様子で、ハイハイという感じでそのままリクエストを受けて歌い続けていました。
信じられない方は、ぜひこの動画を見てください。これです。
(※この動画が撮影された場所は、グロリエッタ・ショッピングモール)
モールの電気屋の店頭で、スリッパの船乗りが突然コンサートを始める。こういうことが普通に起きるのが、フィリピンのモールです。
⑥ 家族みんなで、まとめて済ませられる
フィリピンは家族単位で動く文化です。週末のお出かけは、夫婦だけでなく子ども・親・兄弟まで一緒に来ることも珍しくありません。
そうなると、食事・買い物・映画・子どもの遊び場・銀行の用事、全部が一か所で済むモールは、これ以上ない選択肢になります。
バレンタインデーともなれば、その熱量はさらに上がります。
❤️🧟バレンタインデーの夜に恋人たちのゾンビをみた
2015年のバレンタインデー、マカティからSM North EDSAへバスで帰宅途中のことです。町中がテディベアとバラを抱えたカップルで溢れていて、文字通り地面が見えないほどでした。
ライアンがその日もマカティまで迎えに来てくれていて、「今日バスに乗れたの、奇跡だったよ」と言っていました。
バスの窓から外を見ると、SM EDSA前の道路に、バスに乗れずに帰ることもできなくなったカップルたちが、座り込んだり寝転がったりしていました。
愛で瀕死のカップルたちを轢かないように、そろそろ進むバス。
そんな満員度数200%を超えるバスに、乗り込もうとして乗車拒否される恋人たち。
そろそろとしかバスはすすみません。
みんな疲れ切っていて、外は暗いし……ゾンビみたいでした。
モールでイベントを祝う、というのはフィリピンでは特別なことではありません。でもその規模は、日本の感覚をはるかに超えてきます。
バラバラに移動するには渋滞がひどいし、暑いし、グループ行動には向いていない。でもモールなら一日中いられる。フィリピンの家族文化と、モールという業態は、本当によくできた組み合わせだと思います。
⑦ 財閥が「街ごと」作るビジネスモデル
フィリピンのモールを支えているのは、SM InvestmentsやAyala Corporationといった大企業グループです。
彼らは単純に「モールを建てる」のではなく、モールを核にして、周辺にコンドミニアム・オフィスビル・ホテルを開発するという「街ごと作る」モデルで収益化しています。
ただ、同じ財閥系でもSMとアヤラはだいぶキャラクターがちがいます。
SMは規模と効率が優先で、インテリアが味気なかったり、フロア間の動線がなぜかわかりにくかったりします。SMDCのコンドミニアムも、どこか北朝鮮チックな雰囲気があって……(笑)。
一方アヤラは、クリスマスになると本物のポインセチアを大量に飾ったり、どこかカルチャーな空気があります。

この違いには、創業者の出自も少し関係しているかもしれません。SMは中華系移民の家庭出身のヘンリー・シーが創業し、アヤラはスペイン系旧財閥のソベル・デ・アヤラ家が率いています。「効率と規模」と「文化とブランド」、その違いがモールの空気にそのまま出ている気がします。華僑コミュニティの商才文化については、フィリピンの中華系文化とお金の話で詳しく書いています。この話はマカティの記事でももう少し掘り下げたいと思います。
フィリピンに来たばかりのころは「なんで似たようなモールがこんなにあちこちにできてるんだろう」と不思議だったのですが、SMとアヤラの違いを意識しはじめてから、少しずつ見えてくるものがありました。
特にアヤラのマカティ、そしてBGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)は、この戦略が極限まで洗練された例です。あのエリアに足を踏み入れると「ここだけフィリピンじゃないみたい」と感じる人が多いのですが、それは偶然ではなく、意図的に設計された結果です。この話はまた別の記事でじっくり書きたいと思います。
コラム:フィリピンのモール文化はどうやって生まれたのか
今のモール文化は突然できたわけではなく、60年以上かけて育ってきたものです。
原点は1960年代のマカティです。AyalaがMakati Commercial Centerを開発し、オフィス・ホテル・商業施設を一体で作る都市型開発をスタートさせました。これが今のGreenbelt・Glorietta・Ayala Centerにつながる流れです。
転換点になったのが1985年のSM North EDSA開業です。SMグループ初の大型モールで、「ひとつの建物で何でも済む」という考え方をフィリピンに広めました。
そこから1990年代にかけて、SM City Sta. MesaやSM Megamall(1991年開業)が続き、「週末はモールに行く」という文化が定着していきます。モールに行くこと自体が娯楽になっていった時代です。
2000年代以降は、モール単体ではなくモール+コンド+オフィスの複合開発が主流になります。BPOオフィス(コールセンターなど)が急増したことで、働く人・住む人・消費する人が同じエリアに集まる構造が完成していきました。
「買い物施設」が「街の核」になるまで、約60年。フィリピンのモールは、この国の経済成長とともに育ってきた存在でもあります。
まとめ:モールは「買い物の場所」じゃない
フィリピンのモールが多い理由を整理すると、こうなります。
- 暑さとスコールから逃げる場所
- 洪水のときの避難先にもなる
- 役所・銀行・病院まで全部入った生活インフラ
- 公共スペースの代わりになる居場所&無料の娯楽の場
- 家族・グループ行動との相性がいい
- 財閥の不動産戦略の核になっている
日本から来た感覚だと「なんでこんなにモールが?」と不思議に思うのは自然なことです。でも住んでみると、フィリピンという国の気候・文化・社会の仕組みが全部絡まって、モールを中心に生活が回るようになっているのがわかってきます。
ショッピングモールは、フィリピン社会の縮図かもしれません。

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